ギリシア史〈1〉を読み解いていく⑧ 30人政権part1

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30人政権の成立

前404年春、スパルタとアテナイとの和平によりペロポネソス戦争は終わった

終戦後数ヶ月間、アテナイではこの国をどうするのか議論が続いていた

アテナイの中では民主政に反対する勢力がまとまり

前404年9月、民会によって「30人政権」と呼ばれる寡頭政治を国政とすることになった。スパルタの将軍リュサンドロスの後押しもあった

その政府の指導者はプラトンの母親の従兄クリティアスであり、叔父カルミデスも政権の一翼をになっていた

 

政策の反動

当初は市民の支持を得ていたが、敗戦後の財政難や反対派の動きを牽制するため、次第に市民やメトイコイ(在留外人)にたいして暴政を始めることになる

批判が高まると3000人の市民の名簿をつくり、彼らのみが参政権をもつとした

名簿に入らない市民は中心市より排除、一部の土地を没収されている

クセノフォンの記述によると、30人政権のひとりテラメネスは、「まるで3000という数字が、その市民たちが立派で高貴であるために何らかの必然性を持つかのようではないか」と反対した

一方クリティアスは、「民主主義が耐え難い政体であることはわれわれは承知してるし、また、われわれの救い手であるラケダイモン(スパルタ)人にたいして民衆は決して友好的たりえないのに、貴族階級のほうは最後まで忠実たりうることもわれわれは承知しており…」と寡頭政の必要性を訴えた

 

ソクラテスと政権

ソクラテスは3000人の中のひとりであった。ソクラテスは、「ソクラテスの弁明」にて、サラミス人のレオンを連行してくるよう命じられたがその命令にはしたがわないで家に帰った、と述べている

ソクラテスは政権への態度や行動は批判的ではあったが、クリティアスはソクラテスと親交があった。弟子のひとりでもあったとされている