ギリシア史〈1〉を読み解いていく⑦ アテナイの政治
プラトンは、ペロポネソス戦争後のアテナイをどのように見ていたのだろうか
師匠のソクラテスは民衆裁判で命を落とし
プラトンの母親の従兄のクリティアスはペロポネソス戦争後の寡頭政権(30人政権)に関わっていた
今回は、ペロポネソス戦争までのアテナイの政治について簡単にまとめよう
アテナイ民主政の始まり
特徴としては、大きく3つ
①住んでいる場所によって物事を決めていくというもの。これによって、考え方や法律の上では「血縁」よりも「移住区域」の単位が重要となる
②成人男子全員が「民会」に参加できた。誰でも「行政官」になれるチャンスがあった
*女性やメトイコイ(外国人移住者)、奴隷は排除されていた
③「民衆法廷」にたくさんの人が参加できた。行政に関わる重要な処理もあった
用語
『民会』
市民総会、最高議決機関。18歳以上の自由身分の男子に参加は限られていた
法令は討論ののち投票によって決められた
通常、年に40回開かれた
『500人評議会』
民会を準備をする議会。対外政策や市の行政も統括した
各部族から50人選出され、計500人からなる
任期は1年で30歳以上の市民であり、クジ引きで選出
『行政官』
政策や行政が適切に行われているかの監督役。重大な国事の決定を行う
役職の多くはクジ引きで割り当てられた
任期は1年だが再選回数に上限はなかった
『民衆法廷』
6000人の陪審員で構成
毎年30歳以上の候補のなかから、クジ引きで選出
民主政の徹底化をはかり、民衆法廷の陪審員となる市民に手当てを支給した。これによって貧しい人でも陪審員として市民の権利が行使できるようになった
ペリクレスは、「行政官」に前461年から約30年回にわたり、ほぼ毎年この職に選ばれた
- 作者:トゥキュディデス
- 発売日: 2013/12/09
- メディア: 単行本
トゥキュディデスの「戦史」にはペリクレス有名な演説が載っている。是非こっちも読んでみたい
政治家と民衆
アテナイ政治を調べると政治家と民衆の関係性について関心が出てくる。政治家たちは、人の気持ちを動かす弁論術を重視していた
言論によって名声を手に入れたい政治家が多かったと思われる。アテナイには活発な議論があったと想像させる
ペロポネソス戦争後期のアテナイは敗勢であった。そのような危機的状況では、民衆は過激な意見の勢力が多くなり、その意見に与する政治家が好まれたのではないだろうか
民衆指導者(デマゴーゴス)という古代ギリシア語もあります
アテナイは前411年と敗戦直後の前404年に寡頭政治が誕生している。これらの政権はすぐ倒されてしまいますが、民主政の欠点を見ていた人もいたのかもしれません