ギリシア史〈1〉を読み解いていく⑥ アテナイ降伏
アテナイではペリクレスの命に従い、住民はすべて城壁で囲まれた中心市と長城壁の内側へ避難していました
長い戦争の中で、市民はこの壁から出られることは稀だったのか、どのような生活だったかは気になるところ
ただ城内では、狭い空間に密集して居住していたため疫病が発生し大勢の死者が出た
スパルタ軍は、アテナイの食料不足を狙い北方面からの陸上の輸送路を遮断した
アテナイは、海軍が強く制海権を握っていたことで、食料はペイライエウス港にもたらされる輸入品に頼ることができていたが
前405年末、スパルタの艦隊によってペイライエウス港を封鎖される
前404年の春、食料供給を断たれたアテナイはついに降伏し、城壁の解体に応じることになった
著者であるクセノフォンは、アテナイの必敗が報じられるとアテナイ市民は「このためその夜は、眠る者は1人とてなく、人々は戦死者を悼むだけでなく、むしろそれ以上にわが身を嘆いた」とし「包囲によって征服したときの自分たちの仕打ちが、今度はわが身に降りかかるのだと考えたからである。」と記している
ここには、自分たちで決めていった(しまった?)戦争への思いが伺えるかもしれません
「ペロポンネソス(スパルタ)側は笛吹き女たち(アテナイからも大勢呼び集めた)の伴奏に合わせて、この日こそギリシアの地で自由が始まる日なのだと信じて、熱心に城壁を破壊し始めた」とあります
ようやく、ペロポネソス戦争終結です。スパルタはギリシアへの共同体意識があり、単純な戦争ではないことがわかりました。教科書では「アテナイとスパルタが戦争しました」という受け取り方になってしまうので、読んでみて新鮮でした