ベーシック・インカムを問いなおす その現実と可能性
BI(ベーシック・インカム)とは、すべての個人に無条件で一定額をを継続して給付するものです
たまに報道されては一部で話題となり、それが繰り返されているようにみえます
読書の秋ということもあり、ちょっと経済色のある本にチャレンジしてみました
給付額に応じていろんなBIがあります
個人的には生活補助くらいの額ならいいかなって思います
無条件に給付というと予算の話になりがちですが
少ない額であれば、給付金を加えた分を課税することによって、そこそこの予算になります
また、給付額によりますが、いくつかの社会保障を一元化できる側面があります
何を一元化するかによって議論が分かれている感じでした
本書では、BIによって最低限度の生活は保証されるなどの言説が批判されています
端折って書きますが、最低賃金の制度を残すのであれば、それ以下にはできないので一定の生活補助となる人たちもいると考えられます
海外では、2016年にスイスでBI導入をめぐる国民投票がありました
フランスでは、2017年に大統領選挙において各候補者がBIを公約に掲げています
さてさて、無条件に配るというのは、いろんな人からみても魅力的です
それは現実不可能な夢や幻想を見せるものだと思います
でも、「なんかイケてる政策」という気持ちから、社会について調べてみるきっかけになるかもしれません
何かいい政策が出てくるときは、そういう人たちの多さも大事なのかなと思ったりしました
(中央図書館)
贈与論 他二篇 (岩波文庫) マルセル・モース
- 作者:マルセル・モース
- 発売日: 2014/07/17
- メディア: 文庫
ギフト(gift)は英語では「贈り物」、ドイツ語では「毒」と意味する
全くの別の言葉のようですが、表裏一体の関係性があります
モノを贈られると、何か返したほうがいいかなと思うことは多い
返さなくてもいい場合もあるだろうし、贈られたモノ以上のモノを返すこともあるかもしれない
お返しに自由(不自由?)さがある。不自由なところが「毒」っぽいですね
いずれにせよ、確かに贈与には関係してしまう効果があります
ボリュームがあって、じっくり読まないと理解するのが難しい本ですが、訳者の解説だけでもおもしろいと思います。
ショッピングモールから考える ユートピア・バックヤード・未来都市
みんなが来やすい場所を考えると図書館を真っ先に浮かんだのだけれど
そもそも、本に興味ないと行きたいと思わないし、静かにじっと席に座り続けることも難しい
いろんな人が集まるところは、商業施設があるとこなのかなって思います
その中でもショッピングモールは過ごしやすい
コミュニケーションが苦手・不安な人でも、小さな子どものいる家族や高齢者、誰にでも開かれている感じがする
最近、新潟市のショッピングモールで、県が企画したVRを使って職場体験できる取り組みが始まったそうです。公共性があるということなのかな
モールに包まれて調和する。そんな空間はこれから必要なのかもしれません。
中央図書館にあります。ちなみに中央図書館は「ショッピングモール的」なところ
内装、空調やセキュリティ、スタッフとの距離。似ている感じがする
カフェもあってなんていいとこなんだ・・・うちの近くにも欲しいところです
紅茶が動かした世界の話 千野境子
- 作者:千野 境子
- 発売日: 2011/02/01
- メディア: 単行本
たまには紅茶を飲んでみるのもいいかもしれない
透明な赤オレンジ?から柔らかい香りがする
ティーカップにつげば、なんかお洒落でいい気分だろうと思ってみる
この本は紅茶のルーツや紅茶文化の始まりが載っています
世界的な紅茶文化の広がりから、多くの国々を巻き込むことになりました
「アヘン戦争」はイギリス人の紅茶の愛飲から始まってます
当時、中国から紅茶を購入する際、銀が流通していました
そこでイギリスは中国にアヘンを輸出するようになります
少し脱線しますが、中国はアヘン戦争に敗れ南京条約によって香港割譲をされています
「ボストン茶会事件」はイギリスによる「茶条例」により、アメリカのお茶に課税する法律が発端でした。人々は安くお茶が手に入ることを望んだのです。
この絵は有名なのかな。世界史教科書に載ってます
実際には寒い冬の夜にお茶を海にを投げ捨てました
気分転換にコーヒーから紅茶を飲んでみようと思いました
本書は中央図書館にあります
依存症のすべて 「やめられない気持ち」はどこから来る? 廣中直行
依存症のすべて 「やめられない気持ち」はどこから来る? (こころライブラリー)
- 作者:廣中 直行
- 発売日: 2013/09/20
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
「依存症」というのは、何かの行為がやめるにやめられなくなった状態を指します。
そんな私は、最近ネット麻雀をやりすぎだろうか
最初は、みんなと麻雀できたら楽しいなと思ってたのですが、どうしても「気晴らし」をしたいという気持ち。何かに夢中になっていたいのでしょうか。
何かにハマっているということは、その物事について経験値を増やすチャンスなのかもしれない。
本当にしたかったのは麻雀なのでしょうか?それとも・・・
こういったものは単なる「気晴らし」で終わらないことがあるから、気をつけなければいけない
気持ちがいつの間にか大きくなり、気がついたときにはそれらをやめることができなくなっている
麻雀に負けるとつい「もう一回」なんて悪い意味で熱くなっている。単純な対立構造のゲーム性に火がつきやすいなと思う。
なぜ、こんなにも心は傷つきやすいのだろう。そして、そのとき脳はどんな影響を受けているのだろうか。
状態としては「行動のブレーキが効かない」。「小さい報酬でいいから、今すぐ欲しい」「損を取り戻す」という心理。
脳が物質である以上、ブレーキが効かない状態はだれであってもすぐに制御することは難しいかもしれない。
だけれども、依存症について知ることが増えれば、「これからこんな感情になる」と構えることはできる。
「今の感情は一時的かも」と考えてみたり、「コーヒーでも飲もう」など工夫できる余地はあるだろうと思う。
この本は「依存症」「依存のようなもの」まで幅広い射程で考えさせてくれる。とてもグッドな本でした。
西川図書館にあります。