ギリシア史〈1〉を読み解いていく⑩ ヘレニズム時代へ

ペルシアの内乱と衰退

前401年のペルシア王位争いに、著者であるクセノフォンは傭兵として参加していた

ギリシア人傭兵隊はペルシア内陸の取り残されるも、クセノフォンを隊長に選び、苦難の乗り越えながらも脱出に成功する。この遠征でペルシア王国に内部の弱点が明らかになり、ギリシア人のペルシア観に影響した

クセノフォン作「アナバシス」に詳細が載っている

アナバシス―敵中横断6000キロ (岩波文庫)

アナバシス―敵中横断6000キロ (岩波文庫)

スパルタ社会の動揺

アテナイに続いて、スパルタの社会変動も大きかった

鎖国社会からギリシアの指導的立場をとっていたスパルタは、ギリシア諸国に干渉を加えはじめたペルシアに対抗した(前396年)

国内では、金銀の流入による貨幣経済に浸透によって土地を失う市民が続出していた

また長期の遠征による市民(ホモイオイ)の減少や、市民にたいして非市民の割合がとても高くなっていた。このことは非市民が外の世界へ出兵するたびに、共同体としての結束に影響したとみられています。そして、次第にスパルタは力を失うことになる

 

コリントス戦争(前395年~前386年)

代わりにテーベというポリスが力をもってきました。スパルタの強引な覇権拡大のやり方に反感をもったテーベが中心に始めたコリントス戦争が始まる。ペルシアの介入やコリントスアテナイとの共戦もあってスパルタは敗れた

f:id:historiai:20210513200557p:plain

復興のアテナイ

アテナイはペルシアの資金援助で前394年に城壁を再建し、失っていた海軍の増強を始めることになる

ペイライシウス港はエーゲ海交易の中心としての役割を再び担いはじめた

前377年に第2海上同盟が結成され、制海権を回復していく

しかし、徐々に支配強化の政策が進められ、前357年に「同盟市戦争」が起こり、同盟の大半が離脱した

プラトンは前386年頃に、アテナイアカデメイアに学園を開いています。コリントス戦争も終わり国内は比較的安定していたのかもしれません

 

ポリス社会の変容

数多くのポリスは、市民一人一人が兵となって、自分たちの都市国家は自分たちで守るというものだった

戦争が頻繁に行われるようになると「傭兵の使用」が普及しました。また戦争による農地荒廃によって、土地を手放す市民が増えた

それは共同体を支える意識の衰退につながっていったとされています